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ADEO­MOYO 研修レポート             14 /11/2006 

                 中村 佐知子(長崎大学 医学部医学科)
■はじめに
  2006/09/06〜11/14 まで研修生として ADEO­moyo に滞在した。肩書きは医学生
しかし お金をためて暇をつくってはどっかへ行っていた日本での大学生活。医
学部に所属して3年経つとはいえ、医学に関する知識は一般人とほぼ変わらな
い。ただ東南アジアが好きだったこともあり学部内にある熱帯医学研究所の人
と交流がありよくそこに出入りはしていた。だから熱帯医学に関する知識は少
しはある。という程度の私。
実をいうと私がこの研修に参加したのは医学生としてではなく、ただ単純にこ
この人の生活を知りたかったからだった。 NGO に所属していればコミュニティ
とのアクセスも現地の人との交流も容易に出来る。たまたま選んだ adeo­moyo
の活動が医療サービスで、これも運命か?と思いつつ始まった研修だった。

■アデオでの活動
 もともとコミュニティに興味があったためヘルスセンターでの医療よりも各コ
ミュニティでのプライマリーヘルス、リプロダクティブヘルス( HIV/AIDS,  
STIs)活動に主に参加していたが、もし薬の処方など本格的に学びたい人がい
ればそれも可能だと思う。(その場合、薬理学を履修後が有利かも。 )
スタッフに言えば毎日ヘルスセンターでトレーニングをしてくれるはずだ。た
だ個人的にそれらは日本でも学べるのでフィールドでの活動に関わった方が良
い気がする。
 私は数多くある難民セトルメントでの予防啓発活動( sensitization)に主に関
わっていた。これが意外と時間がかかる。交通手段の問題もあり1日に2か所
がやっとという感じ。難民セトルメントはどこもオフィスから離れていて車
(ランドクルーザー)なしでは移動が難しい。まず各コミュニティへ行き住民
を呼び集め、(事前に知らせているため場所によってはすでに集まっている所
もあるがまれ)人が集まるまで待ち、そしてやっと始まるのだが、1つのセト
ルメントにいくつもの部族が存在する場合があり、英語→その他2つの部族語
にたいてい訳しながら進んで行く。必ずどの場所にも英語を話せる人はいるの
で通訳に困ることはなかった。この通訳によっても訳し方により住民の反応が
違ってくる。住民に質問を投げかけながらの sensitization。ADEO のスタッフは
慣れていて住民の関心を引き付けるのがうまい。 STI の sensitization は寸劇を交
えて VCT(Voluntary Counseling and Testing)の啓発活動をすることもしばしば。
寸劇は Post Test Club(PTC)という過去に HIV 検査を受けた人によって構成さ
れる団体によって行われる。私は主にコンドームのデモンストレーターとして
参加していた。始めこそ恥ずかしかったが回を重ねるごとに慣れて住民たちの
反応を見ながら楽しめるまでになった。実際に外国人である私がやれば注目は
必然。ここでは外国人はきっと皆いいデモンストレーターになれる。それにし
ても全体的に住民たちの知識は日本人よりあるのでは?という印象を受けた。
これも各コミュニティにいる Community Health Worker のおかげだろう。この
CHW だが、ふだん各ヘルスセンターで働いていることもあってプチ医者とい
う感じで知識の豊富さには驚くばかり。過去に ADEO がどれだけ住民を教育し
てきたかが分かる。実際に今も定期的に各トレーニングを行っている。 ADEO
がこの地に根を張った当初にここにいればもっとたくさんのことが見れただろ
うな、と思わずにはいられない。

・HIV/AIDS に関して補足。ウガンダはアフリカで HIV/AIDS 対策が進んでいるといわ


れている。HIV 患者には ARV が無料で提供される。ケアシステムも整っている。実際
にアデオも各 HIV 患者の家を訪問し話を聞き、必要な物を提供している。

         
研修を始めた頃、コレラのアウトブレイクがあった。コレラとはコレラ菌に
よって引き起こされる急性の下痢症による重度の脱水を特徴とする感染症だ。
放っておけば6時間内に死に至る可能性もある。ここではヘルスセンターでコ
レラと確定され次第、患者の家まで行き、消毒作業をする。“GIK”という消毒
液を患者の衣服、室内、ベッドすべてにまくのだが、これがスプレーや十分な
水がないため“これでいいの?”という感じだったがそれ以上感染は広まらず大
丈夫だったみたいだ。その消毒作業とは別に、患者の発生したコミュニティで
コレラ予防啓発活動も行う。周囲すべての大衆食堂は営業停止。コレラではハ
エが危険な感染媒介になるからだ。患者が急増し一時はどうなることかと思っ
たが、幸い死者も出ずコレラは消えた。

ヘルスセンターでの医療やセンター内の設備は簡素だが比較的整っている。衛
生状態は良いとは言えないが清潔にはしてある。 UNHCR からの資金削減で物
資不足ではあるが。医療は難民、もとからここに住むウガンダの住民に分け隔
てなく無料で提供されている。ただ違和感を感じたのはちょっとした病気でも
すぐに薬を得られるため、薬に依存しているというか薬は100%だ、と人々
が考えていることだ。アデオのスタッフたちもちょっとした風邪でもすぐに薬
を求める。まあ薬が効くと信じていれば薬の効果は2倍、3倍にもなるのだか
らいいとも言えるが。薬に依存しない医療というのは、アジア独特?それとも
先進国で生まれる発想?
              

年に2回、アデオは nutritional survey を行っている。コミュニティをランダ


ムに選び、選んだコミュニティで 30 人の乳幼児( 6−59 ヶ月)を調査する。浮
腫の有無、身長、体重、左上腕周囲の長さ、各ワクチン接種の有無、家庭での
トイレの有無などを一人一人調査する。各チーム 3 人で、振り分けたコミュニ
ティをまわる。計量道具を持ち運びながらの移動だからこれがなかなか大変な
仕事だ。猛暑の中2つのコミュニティ回ったらくたくただ。調査した幼児の親
には蚊帳を与える。当然これが問題の引き金になる。 30 人しかもらえないのだ
から。私としてもこれには不公平な印象をうけた。結局、次からは何も与えな
い方がいい、ということに。調査の結果はコンピューターにデータ入力して解
析する。膨大なデータで、これらの作業も一苦労だった。結果、栄養状態、衛
生状態はまだまだ。各コミュニティを回った印象として全体的に皆健康な印象
を受けたが違ったようだ。食糧支援も一部のみ、(驚いたことに WFP の食糧
支援は物物交換だったりするらしい。)、部族によりもともと農耕をしない部
族もあり、(cattle keeper など)またもともと降水量が少なく土地が肥沃でないこ
と、などで農耕による自給自足も難しい。また衛生状態も悪く病気にかかりや
すい状況だ。このデータは UNHCR に送られ、対策がとられることになる。

   

                                  nutritional  survey 
 全体的に、プライマリーヘルスの重要さを実感した。そしてもっと自分に知
識があれば、、といつも感じていた。卒業してからここに来た方が良かったの
かもしれない、と思ったことも。しかしこれで今ひとつやる気にかけていた日
本での大学生活に終止符をうてる。いつか医師としてこの地を訪れたい。その
頃にはアデオは撤退しているかもしれないが。

その他、コミュニティでの予防接種 , repatriation でのヘルスチェック、 CHW や


peer educator への各トレーニング、ヘルスセンターでの診療、などなど様々な
プログラムに関わった。フィールド活動とそのプラン、レポート作成でスタッ
フはいつも忙しく、あっという間の2ヶ月半だった。

■日常生活
 平日は基本的に 8:30〜17:00 までオフィスまたはフィールド。フィールドに
行った場合は 19 時、20 時にオフィスに戻ることが多い。平日の仕事後や土
日は主にキッチンで料理や現地の言葉( Madi)を教えてもらっていた。私に
とってキッチンはここの現地の生活を知ることの出来る場所で、憩いの場所
だった。アフリカの女性は概して料理がうまい。それによく働く。料理は好
きだが忙しさで料理することの少なかった私にはいい機会だった。かまどと
薪を使ってのクッキング。今ではある程度のことはできるようになった。
(交通手段のトラブルでキッチンスタッフがマーケットから帰って来れなか
った場合、夕飯の準備をしたことも数回!)それにしても、ここの人の砂糖
消費量には驚いた。料理に砂糖を使うことはないのだが、毎回紅茶やミルク、
その他の手絞りオレンジジュースなどを飲むたびに砂糖をスプーン 5、6 杯入
れる。よく糖尿病にならないなと思った。それか糖尿病予備軍なのかも。
(以前糖尿病だったというスタッフはさすがに砂糖を使わなかったが。)
  現地の言葉、Madi は発音、文法ともに難しい。スタッフでも話せる人は少
 ない。(彼等は主に別の土地出身。)私も未だに簡単な会話しか話せない。
 聞き取ることは少しは出来るが話すのは難しい。。半分諦め状態で、比較的
 覚えやすいスワヒリ語に移ろうかとどっちつかずな感じだった。

 ここにいる間、イスラム教のラマダン(断食の期間)とちょうどかぶった。
 もともとイスラム教に興味があったため私もラマダンにトライ!といっても
 週末だけ、計 4 日だが。。断食といっても日没後 19 時以降は飲食できる。
 だからそこまで難しいものではない。ただ朝起きてからこの猛暑の中で水を
 飲めないのは辛かった。19 時以降、ムスリムの多いマーケットを通ると彼等
 のお祈りする光景を見ることができる。なんとなく厳かな雰囲気で私は気に
 いっていた。ラマダン開けのイーディーデイはパブリックホリディ。彼等の
 服装も私のおきに入り。祈りと豪華な食事でラマダンは終わった。
ラマダン明けを祝う人々

              

  概して生活は快適。一人一人トゥクル(円形ハウス)に住めるというとても
いい環境。衣食住に困ることは全くなく、毎日良く寝て良く食べ、心身ともに
成長?した気分だ。ジェネレーターから電力を得ているため燃料の問題で 23 時
以降は真っ暗。晴れていた日には星空が本当にきれいだ。途上国でいつも問題
になる水。ここでは井戸からくみ上げた水に“waterguard ”という薬品(これも
UNHCR から得ている)をいれるのが当たり前で、これによりどのセトルメン
トでも安全な水が飲める。水に困ることなく毎日体も洗えて快適に過ごせる環
境だった。ちなみに1日2回体を洗うのがここでは一般的。
  

裸足で、上着なしで駆け回る子供たち。道路からはナイル川が見えるし、緑が
いっぱい。様々なものを頭にのせて運ぶ女性たち。ここの風景は見ていて飽き
ない。いつかは、ここもアスファルに変わり、車が行き交うようになるのだろ
うか。先進国の人のエゴだが、こういう自然の風景がこのまま変わらないでい
でほしいと願う。
    

 ■援助する側は必然的に立場が上になる。
 破れて、ボロボロの服を着て歩く人々。彼等の移動手段は徒歩。彼等の前を
UNHCR のロゴを掲げたランドクルーザーが砂埃を立てながら通り過ぎる。
それが当たり前の風景。ここで、破れたり穴のあいていないきれいな服を着て
いるのは NGO のスタッフたちやごく一部の人だけだ。
援助をする側ではなく、受ける側の住民たちと、できるだけ対等になりたかっ
た。しかしどんなに同じように暮らして、どんなに仲良くなっても、それは不
可能だ。人の心の根底で、経済格差は人を区別させる。そして一方でその区別
を望んでいる自分もいる。ここに来たことも住民たちとの交流も、すべて結局
自己満足にすぎないのかもしれない。自分の存在がどれほど彼等に影響を与え
るのか。短期間で去る自分が影響を与えることは果たして彼等にとっていいこ
となのか。次々に訪れる日本人の存在。ここでの生活は私たちにとって価値あ
る経験になるのは間違いない。しかし逆は??経済格差を知ってしまった住民
は発展を求める。いわゆる“発展”と共にある絶望を知らずに。いっそ彼等は何
も知らない方が良かったのではないか、と思わずにはいられない。彼等には彼
等のすばらしいライフスタイルがあり、それは守られるべき文化だ。。。と思
うのは私だけ??

                  

          
結局、援助もビジネスの一つ。選択という網をすり抜けた人のみが“援助”を受
けることが出来る。“切り捨て”ていかなければ何も出来ない。
また、NGO は結局大きな資金団体の援助なしには活動できない。資金を得るた
めの広報や様々なアピールは不可欠。そこも NGO の能力の問われどころ。
アデオ moyo は主に UNHCR から資金を得ている。そのことから諸活動におい
て UNHCR の影響が強い。しかし彼等はフィールドを知らない。アデオのスタ
ッフたちはいつも UNHCR の対応に苦しんでいた。
アデオ moyo が研修生を受け入れているのも私たちが日本に活動を報告するこ
とによりなにかしら援助を得るためだと言われたことがある。多少の語弊はあ
るのかもしれないが本当だろう。しかし私はいち学生であって資金を持つ組織
に属しているわけではない。ここの人たちにとって、果たして私がここに来た
意味はあるのか?という疑問がいつも頭を巡る。。。でもそれも結果論か。私
が意味のあるものにすればいい。今私にできるのはここで見て感じたことを伝
えることだ。もしくは医師として戻ってくること、、、可能なら。
           
■アデオ moyo の抱える問題
 どの組織にも必ず問題がある。時間が経ってシステムが崩れて行くのもある
意味仕方がないのかもしれない。組織を維持する難しさを感じる。
問題の根本的な原因は資金不足。アデオ moyo のドナーは今はほぼ UNHCR の
みの状態。そして難民の帰還に伴い資金援助削減の方向に向かっている。アデ
オではもちろん人件費も十分でなく常に人手不足の状態だ。結果、仕事量に見
合わないわずかな給料に対する不満は常。 UNHCR からのワークプランはハー
ド。ここにトランスポートの問題も絡み、問題は大きくなるばかり。
 ここでの滞在中、飲酒運転とスピード違反による事故が2件あった。どちら
もアデオのドライバーによる事故だ。2つのランドクルーザーを失った後の交
通手段の不便さは言うに及ばず。これらの乗り物は UNHCR から寄付されてい
ることもあり、彼等は即解雇された。(職を得るのが難しいこの国で、これは
彼等にとって大きな痛手だ。)この事故後、アデオ所有の車のワークタイムは
制限されアデオの活動、そしてスタッフたちの移動がますます難しくなった。
私としては人々の話を聞きオフィススタッフに話をもちかけ、定期的にミーテ
ィングをした方がいいのでは(以前はしていたらしいがここ数年ミーティング
はしていない)と呼びかけたこともあったが慣れた環境を変えるのはなかなか
難しい。組織を維持する難しさと自分の無力さを実感する毎日だった。
 
■最後に、、
 問題はあるものの私自身は毎日楽しく過ごせた。外国人は金持ちだという固
定概念が人々にすでにあるのは残念だが、基本的に人は皆穏やかで寛容だ。
アジアのことは学校でも習わないみたいで、外国人は皆“白人”になる。
アフリカの文化は基本的にアジアの文化に共通する所も多いと思う。日本の文
化についてもっと伝えられることが出来たら、といつも思っていた。英語の壁
が、、未だ高い。様々な部族が混在する土地で、人は他の言語、習慣の違いな
どに慣れている。日本人はある意味アンラッキーだ。他の文化に親しむ機会が
圧倒的に少ない。教育もほぼすべて日本語で行われる。これについて、私はも
ともと悲観的だったが、あるマケレレ大学の学生によると、日本は自国の言葉
で全てやってきたから独自の方法を組み立て、発展してきたのだ、と。東アフ
リカの共通語は英語。オフィシャルな場ではすべて英語だ。これにより(東)
アフリカの人は欧米を追うこと(まねをする)ことしかできない、、と。
確かに一理ある。私の日本教育に対する見方もちょっと変わった。
 ヘアスタイルひとつをとってもここの人々は欧米に憧れている。私から見れ
ば彼等の髪がとても魅力的なのだが。
現在の“発展”とは貨幣経済における経済成長に過ぎない。先進国の実状にも目
を向け、本当の意味での発展を追い求めて欲しいと切に願う。
         

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