Você está na página 1de 9

›› CLOSE

JBpress>日本再生>国防 [国防]

正確無比で性能も世界一、魚雷は日本のお家芸
敗戦ですべてを失いながらも、地道な努力が実を結ぶ
2010年07月13日(Tue) 土井 克彦

 北朝鮮の潜水艇が放ったとされる魚雷が、たった1発で韓国の哨戒艦を真っ二つに裂き、沈没させた事件を
覚えていると思います。なぜ北朝鮮は、最新鋭のミサイルではなく魚雷を使ったのでしょうか。北朝鮮が魚雷
のような古い技術しか持っていないからではありません。

 近年、日本の周辺国では潜水艦の建造ブームが続いています。その潜水艦にとって重要な兵器は対艦・対
地・対空ミサイルなどと並んで重要なのが実は魚雷なのです。この兵器には派手さはありませんが、破壊力と
隠密性は抜群です。

1.魚雷とは何か

 海の防衛を考えた時、魚雷について触れないわけにはいきま
目次
せん。そこで、魚雷とはどんな兵器なのか、現在の魚雷はどの
ようなパワーと限界を持つのかを解説してみたいと思います。 1. 魚雷とは何か
2. 魚雷に課せられた宿命
 まず「魚雷」の語源は、「魚形水雷」が略されたものと言わ
3. 魚雷の変遷
れています。
(1)戦前の魚雷
 「水雷」は元来、陸軍の「地雷」を海の作戦に適用すること (2)戦後の魚雷
を目途に開発されたもので、いずれも欧米ではmineと呼称され 対潜用短魚雷の変遷
ています。 長魚雷の変遷
TCMとTCCMの相克
 水雷は、固定型の「機械水雷」が現在の「機雷」に進化し、 4. 現代戦における魚雷の存在意義と将来展望
自走型の「魚形水雷」が「魚雷」として枝分かれし進化したも
(1)魚雷の存在意義
のです。
(2)魚雷の将来展望
 前者は従来のmineの呼称が踏襲され、後者はTorpedo(語源
は「しびれえい」)と呼称されるに至りました。『海軍水雷史』(昭和54(1979)年3月20日 財団法人水
交会内「海軍水雷史刊行会」発刊)では、魚雷を次の通り定義しています。

 魚雷とは、その形状は概ね葉巻型の水中航走体であって、自体内に原動力および主機械を有し、最後部には
推進器を備え、水面下所定の深度を保ちつつ定められた方向に自力直進し、敵艦の吃水線下の舷側もしくは艦
底直下に達し、その頭部に持っている炸薬を爆発させ、以って敵艦の舷側もしくは艦底を破壊する水中兵器で
ある。

 この定義にあるように、魚雷は元来、対水上艦艇用の攻撃武器として進化してきたものですが、海上作戦へ
の潜水艦の参入により大きくその存在意義の転換を迫られることとなります。

 それは、水雷戦隊(水上艦艇)あるいは艦載機による敵水上部隊への魚雷攻撃は、その射程の制約から敵部
隊へ肉薄するリスクを負わざるを得ず、隠密性に優れる潜水艦にその主役の座を譲る事態を招来させました。
 その結果、潜水艦が水上艦船攻撃(敵潜水艦攻撃を含む)に使用する長
魚雷(Heavy Weight Torpedo)を、対潜部隊(水上艦艇、航空機)が潜
水艦攻撃に使用する短魚雷(Light Weight Torpedo)をそれぞれ装備運用
する状況を作り出したわけです。

 つまり、“潜水艦対水上部隊(対潜航空機を含む)”という図式の海上作
戦である対潜戦ASW(Anti-Submarine Warfare)時代の到来!です。潜
水艦側からしますと対水上艦戦ASUW(Anti-Surfaceship Warfare)とな
ります。 1発の魚雷で真っ二つにされた韓国
の哨戒艦「天安」〔AFPBB
News〕
 特に、第2次大戦以降の潜水艦の戦略・戦術両面での活動範囲の拡大
は、ASW能力の急速な発展を促し、魚雷の世界でも自動誘導方式を採用し
たホーミング魚雷を出現させるなど、魚雷性能の飛躍的向上を見ました。

 そこでは、物理、化学、電気、電子、通信、材料等々、多分野にわたる技術力の結集が必要となり、現在の
魚雷は、前述の魚雷の定義の域を超えるアセットとなった感があります。

 他方、魚雷能力の向上は、当然ながらそれへの対抗策である魚雷防禦対策TCM(Torpedo Counter
Measure)能力の向上を誘引し、両者の相克は魚雷という水中武器が存在する限り絶え間なく継続されていく
こととなります。

 このため、魚雷とTCMに関する技術は本来門外不出の性格を有するものであり、各国海軍とも独自の技術開
発を進めてきております。本記事では、主として我が国の魚雷分野の変遷を辿り、魚雷という古くて新しい水
中武器の現代戦における存在意義を考察してみます。

 海軍史上初めて魚雷の元祖と言える物を実戦で使用したのは、16世紀後半のオランダ海軍でした。その形態
は、火薬を密閉した容器を積んだ小型ボートを敵艦に夜間横づけし、時計仕かけで爆発させ被害を与えたと言
われています。

 その後、米国の独立戦争時(18世紀後半)などで、機雷をブイに吊るし手漕ぎボートで敵艦直下に機雷を設
置し、たびたび大損害を与えた事例が残されています。

2.魚雷に課せられた宿命

 これらの魚雷前史時代を経て、1864年オーストリア・ハンガリー国にお
いて英国人技師ロバート・ホワイトヘッドが初めて現在の自走式魚雷の原型
を誕生させます。

 その形態は、頭部に炸薬と起爆装置を、胴部に魚雷の運動を制御する管
制装置と動力源を、そして尾部に操舵器・プロペラなどの推進装置を保有
しており、その基本形態は現在の魚雷にも変わることなく引き継がれてお
ります。
魚雷を発射する台湾のフリゲート
 以上、魚雷勃興期の在り様に触れてきましたが、そこには既に、“魚雷と 艦〔AFPBB News〕
いう水中攻撃武器に課せられた宿命”とも言えるものを読み取ることができ
ます。そして、それゆえに魚雷はその基本形態を変えることなく進化を遂
げざるを得なかったわけでもあります。
 それらは、次に集約されます。

●1発で撃沈!

 大型艦を1発で撃沈させる「大炸薬量の保有」と、硬い鋼板で覆われる潜水艦を撃沈させる「炸薬形態の保
有」が求められ、通常兵器としては稀有な存在である。

●狙った獲物を確実に仕とめる!

 魚雷攻撃機会は千載一遇で無駄打ちは許されない。それゆえに「1回の攻撃で確実に狙うべき目標に魚雷が
命中すること(必見必殺!)」が必須要件となる。

●発射母体の安全!

 魚雷発射母体(水上艦艇、航空機、潜水艦)が何であれ、その安全を確保するには、「魚雷射程を延伸」す
ることが求められる。

●攻撃の隠密性!

 攻撃目標の魚雷回避行動などに対抗するため、魚雷の「高速性」と「隠密性」が要求される。

 これら魚雷の特質を前史時代の事例に照らしますと、夜間襲撃は隠密性の確保に外ならず、人間が操縦する
小型舟艇による運搬期間が長く続いたのは狙った目標を外さないためとも推察されます。

 そしてこれらの特質は、現在の魚雷においても全く色あせることなく引き継がれており、そこに魚雷という
武器開発の難しさが潜んでいるわけです。

 例えば、限定される搭載燃料下での「射程の延伸と高速性、大炸薬量の保有」、魚雷の隠密性維持下での
「高速性の確保と航跡・航走音の秘匿」あるいは「射程の延伸と狙った目標への確実な攻撃」など、相容れな
い要素をいかにして克服するかが魚雷の歴史を刻んできたとも言えます。

 以下、主として我が国の魚雷を対象としてその変遷をたどってみます。

3.魚雷の変遷

(1)戦前の魚雷

 日本海軍は、早くから魚雷の重要性に着目しその取得に努め、ホワイトヘッドが最初の魚雷を作り上げてか
らわずか20年後の1884年(明治17年)には、ドイツから「朱(シュワルツコフ)式84式魚雷」を入手、こ
の系列の魚雷が日清戦争の威海衛夜襲作戦に使われたと言われております。

 明治26年には英国から「保(ホワイトヘッド)式26式魚雷」を導入、この系列の魚雷が日露戦争時の日本
海海戦で使用された模様です。(いずれも未公表) 

 これら初期の魚雷は圧縮空気を利用した「冷走魚雷」で、その航走距離は数百メートルに過ぎず、いずれの
作戦でも十分な戦果は挙げられなかったものと推察されます。

 その後、1907年に米国において主機械に入れる空気に熱を加え、その熱エネルギーで推進能力を増加させ
る「熱走魚雷」が発明され、魚雷速力と航走距離の飛躍的向上を見ることとなります。

 当然、日本海軍もこの技術導入を図るとともに大正時代には国産魚雷の開発に力を注ぎ、航走距離1万∼1万
5000メートルで当時の世界的水準に並ぶ魚雷を保有するに至りました。

 そして大正15年、巨額を投じて英国から雷速46ノット(時速85キロ)の高速魚雷技術の導入を図り、高
速・長射程の国産魚雷を作り上げました。

 その延長線上に、真珠湾攻撃で名を馳せた「九一式魚雷」、さらには速力50ノット(時速93キロ)、航走
距離20キロメートルという当時では驚異的性能を現した酸素魚雷である「九三式魚雷」を作り上げました。

 この技術は極めて高いレベルにあったようで、戦後連合国側がすべての関係資料を押収し、徹底的調査を実
施したと伝えられています。

 この酸素魚雷は、熱走魚雷の究極形態の1つで、高い熱エネルギーの取得により、大型魚雷にもかかわらず
高速・長射程化を実現しただけでなく、空気魚雷のように窒素を排出しないことから、魚雷航跡が極めて淡く
高度の隠密性が確保されていたことにその特徴がありました。

 まさに「射程の延伸」「高速性」「大炸薬量」「隠密性」という相容れ難い要素(「魚雷の宿命」)を見事
なまでに克服した魚雷であったと言えます。

 とはいえ、日本海軍の艦隊決戦の主役はあくまでも砲戦であり、魚雷戦は砲戦前の敵兵力漸減の役割しか与
えられず、最後まで魚雷が主役に躍り出ることはありませんでした。

(2)戦後の魚雷

 敗戦により、それまで育んできた我が国の魚雷技術基盤は壊滅的打撃を受けます。

 また、海上自衛隊の発足は、すべてのアセット(水上艦艇、航空機、潜水艦)が米国供与で立ち上がったこ
とから、魚雷もまた米海軍製のお古を使うこととなり、戦前の我が国の魚雷技術を生かす機会はほとんどあり
ませんでした。

 またそのこと以上に、終戦から海自発足までの空白期間に海上作戦様相が一変し、戦前の魚雷技術の中核を
成した直進魚雷の出番を一掃したところに我が国魚雷技術の継承がなされなかった背景を見ることができま
す。

 それは既述した「ASW時代の到来」にほかなりません。

 このことは魚雷という水中攻撃武器に、対潜水艦攻撃用の短魚雷と、潜水艦が持つ対水上艦攻撃用の長魚雷
への2分化を促しました。

 前者では、ヘリコプターを含む航空機への搭載あるいはロケットモーターで遠距離攻撃を可能とするための
小型軽量化が追求され、後者では、巨大な水上艦を1発で沈めるための炸薬量の増大、航走距離の延伸、狙っ
た目標を確実に攻撃するための有線誘導化技術の適用などが図られました。

対潜用短魚雷の変遷

 海自の対潜用短魚雷は米国製の「Mk32」から立ち上がり、昭和30年代後半に導入された「Mk44対潜用短
魚雷」が長く使用されました。
 この魚雷は電池式で速力・航走距離に難があるものの、最先端部にアクティブの音響センサーを装備し、一
定の距離に至れば当該センサーで目標潜水艦を捕まえ、自らがそれにホーミングする能力を有する、海自に
とっては画期的な形態のものでありました。

 このため、基本的には潜水艦近傍に魚雷を落とすことで攻撃が達成でき、魚雷をロケットモーターで遠距離
に運ぶASROC(Anti-Submarin Rocket)の導入にもつながりました。このASROCは現在も水上艦の主要な
対潜攻撃武器になっています。

Mk46魚雷を発射する米国の艦船
(ウィキペディアより)
 その後、推進機関として高熱エネルギーを生むオットー・フューエル・エンジン(オープンサイクル)を搭
載し、高速化と航走距離の延伸化を図った「Mk46」の導入が昭和60年に成されています。

 他方、国産の対潜用短魚雷は十数年間に及ぶ長い開発期間を経て、1997年(平成9年)「97式対潜用短魚
雷」としてその実現を見ています。

 と言いますのも、当時我が国にはこの種の短魚雷に対する技術基盤が必ずしも十分備わっていなかったう
え、運用者(海自)側の次世代あるいは次々世代を見据えたある意味過酷とも思える機能要求が提示され、そ
れに応えるには既存技術の模倣や改善ではとても追いつかない状況にありました。

 このため、ほとんどの分野で新たな研究開発に取り組むこととなり、従来魚雷では思いも寄らない精密加工
技術や変幻自在の光学式ジャイロの導入などが検討の俎上に上がりました。

 当時、現場の技術者が「この魚雷創りは最新鋭戦闘機を創るより難しい!」と言っていた言葉が思い起こさ
れます。まさにその開発過程は暗中模索、試行錯誤の連続でした。

 その結果、動力としては隠密性を確保しつつ瞬時の高速発揮を可能とする金属燃料から得られる高発熱エネ
ルギーを使用したクローズド・サイクル・エンジンを実現させました。

 また、炸薬形態としては金属ゼット噴流の錐揉みで潜水艦の鋼板に穴を開け致命的ダメージを与える成形炸
薬弾頭を、また最新の音響・管制技術による高いホーミング性能をそれぞれ確保することで高性能原子力潜水
艦に対抗できる対潜用短魚雷の実現に漕ぎ着けました。

 魚雷技術の秘匿性から一概な比較は避けなければなりませんが、我が国初のこの純国産短魚雷の能力は先進
国海軍の同世代のものに十分比肩し得るものと推察しています。

長魚雷の変遷
 海自において米国供与艦から国産の護衛艦(DD)に替わる昭和30年代前半頃までは、ASWの重要性を認識
しながらも対潜用短魚雷の取得がままならず、護衛艦、魚雷艇あるいは潜水艦に長魚雷を搭載し、対水上艦と
対潜水艦攻撃を兼用する方法が採られるなど、長魚雷と短魚雷二分化の過渡期にありました。

 この時期の長魚雷は、戦前の直進魚雷技術に米国から導入された音響パッシブホーミング技術を適用した極
めて中途半端な形態だったことから、必然的に護衛艦の長魚雷は対潜用短魚雷に、魚雷艇の長魚雷はミサイル
艇のハープーン対艦ミサイルに順次取って代わられる運命を辿りました。

 その結果、長魚雷は潜水艦固有の水中攻撃武器としての発展を遂げることとなります。

 その長魚雷の先駆は、1980年(昭和55年)に装備化された「80式魚雷」です。

 この魚雷は動力として電池を搭載していることから、必ずしも十分な速力、航続距離は確保できなかったも
のの、有線誘導(ワイヤーガイダンス)機能を備えた最初の潜水艦用長魚雷でした。

 有線誘導とは潜水艦と発射した魚雷間をワイヤーでつなぎ、必要な情報を相互にやり取りする魚雷誘導形態
の1つです。

 例えば、潜水艦は狙った目標の近傍まで発射した魚雷を誘導し、魚雷が自分のシーカー(音響センサー)で
目標をつかんだ段階でワイヤーを切断、以後魚雷は自らのホーミング機能で目標に突っ込みます。

 有線誘導機能の適用は、狙った目標を確実に攻撃できる、あるいは目標の回避・欺瞞行動(TCM)を見破る
など、潜水艦用長魚雷にとっては画期的なものでありました。

 この魚雷の開発には10年の歳月を要しましたが、我が国の潜水艦用長魚雷にとっては戦前の「九一式魚雷」
の出現に匹敵するものでありました。

 そしてその技術の延長線上に、動力装置をオットー・フューエル・エンジンに換え高速性と射程の延伸化を
達成した現用の「89式魚雷」(昭和64年)の出現を見、このことは戦前の「九三式魚雷」の取得に相当する
快事となりました。

 これら高性能潜水艦用長魚雷の出現は、「1発で撃沈!」「狙った獲物を確実に仕とめる!」「発射母体の
安全!」「攻撃の隠密性!」など魚雷の宿命の解決を見事に果たし、海自潜水艦を水上艦船攻撃の主役として
ASW時代へ送り出す契機となりました。

TCMとTCCMの相克

 魚雷の進歩は必然的に水上艦艇や潜水艦の対抗手段の進歩を促します。これが魚雷防禦策(TCM)で、戦前
の魚雷防禦網や直進魚雷に対する魚雷回避運動もその一環としてとらえられます。

 既述した通り、現今の魚雷は音響による高度のホーミング機能を有することから、必然的に音響による欺瞞
や妨害がTCMの主体を構成します。

 欺瞞手段として、パッシブでは目標の出す音に類似したものを、アクティブでは目標の反響音に類似したも
のをそれぞれ発音する自走式デコイ(MOD:Mobile Decoy)を投射し魚雷をそちらに誘引する手法が一般的
です。

 妨害手段としては法外な大音量を出すことで魚雷に一時的な聴覚障害を引き起こす投射型静止式ジャマー
(FAJ:Floating Acoustic Jammer)手法が採られます。
 これに対し魚雷ではTCCM(Torpedo Counter-Counter Measure)機能を保有し、相手の欺瞞手段の看
破、目くらまし回避運動などの対抗手段を駆使し魚雷攻撃の有効性の維持に努めます。

 このようにTCMとTCCMの相克は、魚雷という水中攻撃武器が存在する限り果てしなく続くこととなりま
す。

 一方、我が国を含め先進各国では、前述のソフトキルによるTCMに加え魚雷を物理的に破壊するハードキル
手法の開発が進められております。

 その1つに魚雷を魚雷で破壊するATT(Anti-Torpedo Torpedo)、あるいは近距離に迫った魚雷を小型爆
雷を多数投下することでその破壊を狙う対魚雷用爆雷構想などがあります。

 一部にこの種ハードキルの出現により、TCMとTCCMの相克状態は終焉に向かうと言われていますが、ATT
への新たな妨害手段や対魚雷用爆雷への回避手段がいずれ考案され、両者の相克は依然として継続されるもの
と筆者は見ています。

4.現代戦における魚雷の存在意義と将来展望

 この時期に魚雷を語る者として、先般の「北朝鮮によると思われる韓国哨戒艦への魚雷襲撃事件」を避けて
通ることはできないでしょう。

 この事例を現代戦におけるASWの典型例と見るには少々無理がありますが、潜水艦による魚雷攻撃の特性を
よく現しているので、少しく言及しておきます。

 新聞報道等によりますと、魚雷発射母体は小型潜水艇で、魚雷は旧ソ連製または中国製を改良したパッシブ
ホーミング魚雷と見られています。魚雷は哨戒艦のほぼ中央部に正確に命中していることから、数百メートル
の至近距離から潜望鏡により狙い撃ちしたものと推察できます。

 哨戒艦側に少々油断があったものと思われますが、そのことを差し引いても、隠密裏の攻撃で、排水量で
1000トンを超える正規の軍艦を、1発の魚雷で撃沈に至らしめたことに魚雷攻撃の神髄を見ることができま
す。

 しかも、その炸薬量は我が国魚雷の同程度以下と推察され、そこに魚雷という攻撃武器の凄まじさを見て取
れます。

 また、北朝鮮という特異国家の行為とはいえ、魚雷が戦時・平時を問わず使用できる武器であることを暗示
したことは、国際社会に対し安全保障上極めて大きなインパクトを与えたものと思われます。

 現在、世界には400隻弱の潜水艦があり、その内二百数十隻は太平洋域に存在すると言われております。特
に発展途上国が先を争って潜水艦取得に動いており、このことはその目的が何であれ、海上航通路(シーレー
ン)の安全使用などに少なからぬ影を落とし始めています。

 これらのことを念頭に置き、以下、現代戦における魚雷の存在意義とその将来展望について考察してみま
す。

(1)魚雷の存在意義

 近代海軍の海上戦闘では長くその主役を砲(GUN)が担い、大艦巨砲主義の思想がそれを支配してきたこと
はよく知られるところです。それが大型空母の出現によりその主役の座を航空機に譲らざるを得ず、大艦巨砲
主義の古い体質が非難の的となったこともまた周知のところでしょう。

 しかし、現代の海上戦闘で本当に大艦巨砲主義は捨て去られているのでしょうか?

 筆者には到底そのようには見えません。砲弾はより遠距離でより精度よく目標に命中する対艦ミサイルに、
あるいはロケット砲弾に、さらには近い将来の電磁砲(レールガン)などにその姿を変え、相変わらず海上戦
闘の主役を務めようとしております。

 少し乱暴な言い方が許されるならば、艦載航空機でさえミサイルキャリアーとしてその一翼を担っていると
言っても過言ではありません。これらは長らく空中攻撃武器であり、それは砲弾の発展型以外の何物でもあり
ません。

 かかる観点からすると、まさに現代戦においても大艦巨砲主義の思想は見事に生き残っているわけです。

 では、水中攻撃武器である魚雷は現代戦にどのように生き残っていくのでしょうか?

 既述した通り、魚雷は生まれた時から大きな宿命を背負わされ、砲弾のようにドラスティックな形態変化を
果たし得ない極めて不器用な攻撃武器であります。

 しかし潜水艦というビークルの出現で一躍脚光を浴び、ASW戦の世界では間違いなく主役の座を射止めまし
た。それは潜水艦に水上艦船攻撃用ミサイル(USM:Underwater to Surface Missile)が装備化されても、
決してその座を譲らなかったことに象徴されています。

 USMは確かに遠距離から精度よく目標の攻撃はできるものの、水上部隊にUSMの空中への立ち上がりを発見
され、それが発射母体である潜水艦位置の暴露につながるからです。

 既述した通り、現代戦においては戦時・平時を問わず益々潜水艦の存在が重要視され、分けても海上戦闘で
は艦隊決戦(大鑑巨砲主義)の生起が限定され、「艦隊(水上部隊)対潜水艦」いわゆるASW戦がその主流と
なることから、まさに長魚雷(潜水艦)と短魚雷(水上艦)とがその戦闘の主役を演ずることとなります。

(2)魚雷の将来展望

 とはいえ、先天的に形態変化の乏しい魚雷に砲弾のような大向こうを唸らせる派手な展開はとても望み得ま
せん。魚雷という水中攻撃武器は、今後とも見えない所に最先端技術や名人上手の技を取り込みながらも、地
味で地道な発展を遂げていくものと予測しています。

 筆者は魚雷を見るたびに、よく古代魚のシーラカンスを思い起こします。そこには、原形は変えないものの
環境の変化に応じて徐々に機能変革を果たし、現代にまで生き残った健気さと図太さを見ます。

 これが魚雷の生き様に重なるのです。そして、そこにこそ魚雷が現代戦に生き残る術と発展の方向性を見出
します。この種観点から筆者なりの魚雷の将来展望を述べてみましょう。

 潜水艦が魚雷発射位置にとどまり有線誘導を行う現在の長魚雷形態は、潜水艦の行動の自由度を束縛し、そ
の残存性(安全性)を大きく阻害する要因となっていくものと推察されます。

 このため、今後は打ちっ放しの魚雷方式へ展開していくものと予測され、長魚雷のUUV(Unmanned
Underwater Vehicle)化が推し進められるとともに、目標近接時の隠密性と目標へ突っ込む時の高速性を両
立させるための推進方式が検討されていくものと考えられます。
 対潜用短魚雷は既に究極に近い能力レベルにあり、潜水艦にドラスティックな機能変革が起きるか、運用者
側からとんでもない機能要求が生じない限り大きな展開はないだろうと見ています。

 いずれにしても魚雷の世界はまさに水物です。今後の展開予測は、「当たるも八卦! 当たらぬも八卦!」
の領域です。

 しかしながら魚雷に携わる者としては、古代魚シーラカンスが長い時間をかけて遅々たるといえども確実な
発展を遂げていることをお手本とし、健気で図太い魚雷の実現に、今後とも“地道に! そして、前へ!”の精
神で確実に歩を進めたいと考えています。

©2008-2009 Japan Business Press Co.,Ltd. All Rights Reserved.

Você também pode gostar