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モスクワ・サンクトペテルブルク9日間

行程表

2011年
2月28日          成田空港発 同日モスクワシェレメチヴォ空港着
3月1日~2日  モスクワ観光 2日夜サンクトペテルブルク着
3月3日~5日    サンクトペテルブルク観光 
3月6日            サンクトペテルブクル発 モスクワ着 
     ~9日  モスクワ観光 
東京とモスクワの都市スケール比較

皇居とクレムリンを、都市の中心地として仮定して重ね合わせてみる。都市は長い年月をかけて作られているので、その性
状を鑑みれば、皇居とクレムリンがそれぞれ現在果たしてる役割は違う。そのため厳密性は欠くが、モスクワの環状道路と
東京の外環状線の奇妙な、そして恐らく普遍的な一致により、概ね妥当な処理だと思われる。東京もモスクワも、同心円状に
拡大する都市ではあるが、一方が湾に臨み、他方が内陸であることから、両者には異なる特徴がいくつか見られ、それが地
形に沿った上での帰結であることもわかる。特に顕著な姿を見せるのは、楕円上にめぐる山手線である。東京湾によってこ
の形が形成されていることが、手に取るようにわかるであろう。
リテラシーにない風景は、
日常の言葉に再編成を要求する。
適切な表現を求めて新しい感性を紡ぐとき、
それは土地に対する理解ではなく、
信頼と不信の積層となる。
入植者に必要なものは、
大地へと溶融する肉体、
そして故国を過ぎしものにしない
ひとつかみの魂だ。
次に紹介する写真は、イズマエロボという、クレムリンから東北
東へ10km程に位置する街である。白く棚引く煙や、薄暗い光
景からは、煤に垂れこまれた陰気な街にみえるかもしれない。
遠くに見える煙突は火力発電所の排気塔であり、兼題の煙は
水蒸気である。街は至って静かである。
この街には、つい最近迄大きな中華街が存在した。彼らは不法移民で
あったため、政府によって強制退去させられてしまったのだ。あなたは
ここで、中華料理を食べたい、と強烈に念じなければならない。大都市
にあって中華街の欠如は食文化として最低の域にある、と憤らなくて
はならない。華僑の手による中華料理は、不法移民というイリーガルを
犠牲にしてさえも達成しなければならない都市のインフラである、と声
高に唱えなければならない。
展望台/展望広場

モスクワは、河川の中流域。東京は下流域。モスクワが小高い丘のある街であるなら、東京
は渓谷の都市だ。広い眺めが欲しければ、天守閣に登るか、若しくは海抜0m地帯のスカイ
ツリーに登るしかない。同時に、山手線が、環状線ではなく、文字通りの意味であることにも
気づくことだろう。円になれなかった「堕円」である。
ピロティは容易に周囲へ溶け込む。

この街にはピロティを有する建物が
非常に少ない。D / H比の高さによ
る寂寞感と、躯体自体の閉塞感に、
相乗効果を感じる。広大な空が拍
車をかける。
秀逸なリノベーション。新素材であるガラスが登場した時代は S 造・ RC 造と組み合わさる
ことが多いがゆえに、組積造とのコラボは珍しい。そして見事に成功している。
赤レンガ/赤の広場

クレムリン前に突如として出現
した冬季限定スケートリンク。
MM21との共鳴。
Form
Follows
Fashion.

人が住む以上経済原理が否応なしに働き、アドヴァタイ
ジングは街にあふれる。見留られないのは、宗教都市
位である。このようにワールドブランドの広告で街を切り
取れば、瞥視して何処の国は瞬間わからない。広告は
建築単位ではないが、機能主義になぞらえれば、姿を
変えた薄っぺらい立面かもしれない。美女は大抵そうい
うところに住まう。
信号が異様に少ない国である。未整備の交差点では、このように警察官が交通整理
に追われる。片側四車線は細い部類で、片側六車線の高速道路もある。しかし曖昧な
車線に沿う車はおらず、規定数を超えることも珍しくない。
京王線桜上水駅
地下鉄と列車が接続しているクンツエヴォ駅。桜上水の辺りに位
置する。線路を辿れば五km足らずで緑溢れる郊外に出られるが
、東京はその後も延々と住宅街が広がる。モスクワ市内の居住単
位が集合住宅であるからだ。
suburbia

ネムチノフカ駅。外環状線を超えて一つ目の
駅。人口密度が急激に低下する。
西ヨーロッパなら、様式や形態である程度建物の年代がわかるが、ソ連時代の
建築リテラシーがないため、この国ではいまいち判断がつきにくい。
支柱に喝
近年の建物。敷地の形状に沿った造形は、テクスチャの異なる
ファサードによって装飾され、ピロティを囲むカーテンウヲールは
さながらプリーツにもみえる。惜しむらくは、支柱が既に曲げ崩壊
しかけていることだ。美しさは足元から。
新宿とピッタシ場所をおなじくする、建設中の副都心。秩序のない造形は、それぞ
れゼネコンがことなるからであろうか。広告はまだ貼られていない。
ALL is UNDERCONSTRUCTION

建物も。周辺も。
時と共に、この「複合施設」の周りは建物で埋まる。そのときこの躯体
が周りに与える表情は、中央部の「オフィスビルディング」だろう。しか
しランドマークとしては些か間の抜けたデザインである。一目で建物の
機能が分かることほど、寂しい物はない。
真っすぐ素直に育ってほしい。
このように。
カラーひよこ

当の本人は恐らく何も状況を理解してない。。。
サンクトペテルブルク
東京とモスクワの重ね合わせはある程度合理性があり、比較的成功していると思われる。
一方、ペテルブルクについては同じ手法をとっても、その意味合いは異なってくる。地図
を見てわかるのは、意図的に回転処理を施すことによって見えてくる、湾の形状とスケー
ルが同程度であるという事実、アクアラインが共に存在することである。言うまでもないが
、それ以上のスクリーニングは最早無意味である。ペテルブルクの中心は市川市のあた
りにある、という言説は空虚に過ぎない。
 
プリモルスカヤ

東京の主要機能が山の手に位置しているのに対し、ペテルブルクはデルタ地帯で都市を展開している。臨海部は、この
デルタ地帯の先端にあり、東京の埋立地にみる人工島のような、近代的な交通システムやレジャー機能などはあまりな
いようみ見受けられる。反面、このプリモルスカヤは海を望む集合住宅街となっており、地盤の弱い豊洲や芝浦辺りに
たつ高層マンションにはない、不思議な安定感と眺望が得られる豊かな空間である。
市内中心部と異なり、街区単位の大きい典型的なラドバーン地帯(歩車分離)となっていることが分かる。殺
伐として人間味がないと言われやす構成に、 4- 5はありそうなD / H比が拍車をかけるが、豊かなファサー
ドを持つ歴史的建造物は空間に落ち着きを与え、道路の明快なベクトルが自然と人々を海へと向かわせ、
プリモルスカヤ駅周辺の喧騒を離れた静かな居住区を構成する。大きく切り取られた蒼穹はそのまま海へ
と溶け込み、居住区と臨海部のスムーズな接続を象徴している。
メインストリート。片側二車線の道路が、運河を挟ん
で2セット走る。ネヴァ河の疑似的な体験。
今回の旅を通じて、一番印象的であった建物。折りたたんだ紙を蛇腹状に展開したかのような、菱
形の出窓が連続する幾何的な冷たい統一性を帯びるファサードと、ジャンクションを彷彿とさせる暴
力的なピロティが特徴である。ピロティの天井スラブの兆大な厚さが、上部躯体荷重を端的に表し、
多面体の支柱は力の流れをそのまま体現するかのようであるので、動的で緊張感漂う安定した空
間という矛盾した感情を想起させる。四棟が連続して並ぶ様をみると、今にも動きそうな多脚機動躯
体のようでもある。進む方向は海に相違ない。太陽光に反射する窓面が多様な模様を形成し、我々
はここに無言の意思を見るだろう。
光源には人々の挙動が反映される。「夜間飛行」の冒頭に於ける、バンパを照らす人家の灯りについての描写は、飛行機乗りにし
か描けない表現だ。同様に建築家にしか描けない、光源の美学があるのだろう。灯りの中に倹しい市井の幸福を見ることは誰でも
可能である。照らされている処の街頭に佇む労働者に向ける眼差しを我々は有しているだろうか。輝くことのない、薄暗い街区に
愛の手を差し伸べられるであろうか。人の上に立ち、人の下に建築を為し得るだろうか。
この薄っぺらい支柱で上部架構を支えているという逃れられない物理現象。軽いめ
まいを感じさせずにはいられない。善悪の問題ではなく、快不快の問題である。写
真では分かりにくいが、天井スラブに微妙な角度がついており、膨らんでいる様は
まるで四足獣の腹のようである。いやこの場合は十足だから、多足類のもつメタリッ
クな甲殻で包まれた多段腹であろうか。
再開発事業でできたと思われる高層集合住宅。建築設計をする際には、二つの道筋がある。敷地と建物の等価性から生まれ
る関係性と、若しくはプログラムかの検討から生まれて空間化された関係性を起点にするやり方だ。この建物は左右の塔に挟
まれた中央躯体が、陸側にいくにつれて高くなっており、採光に配慮していることがうかがえる。また、ヴォリュームを分割しりこ
とからも、プログラムに対する配慮がなされていることも想像に難くない。しかし、最終的に生みだされた両者の関係性が融合し
ておらず、希薄な間柄のまま均質な空間を生成したレベルでとどまっている。社会主義的な計画された近代集合住宅の性格が
残存しているようにおもえる。一つの解決策として、東京の東雲公団のように、複数の設計者を同時進行で起用し、異なる棟を
複数建設するやりかたもある。それで必ずしも不均質な空間が醸成されるかというと、また別問題であるが、特にこの国におい
ては有意義ないしょ
バルト海。トンネルを抜けると雪国というが、こちらは雪をかきわけ前進していると、気づい
たらそこは海の上であった。衝撃の体験。よくGPSの狂いや更新不備で本来道路でないと
ころを走り、場合によっては海上を走行している状況も情報端末の中では起こり得るが、そ
れに似た現象である。この場合、私という情報端末の頻発する更新不備による救いようのな
い誤認識である。さておき、波に揺られることなく海上から街を眺めるという希有な体験は、
この街並みにどうのような風景を形作るのであろうか。凍結港ならではのブレイクスルーが
あるはずだ。
NEUHAUS。バックの建物でないことは明らかだ。
渡り廊下というものは、とても便利な単位である。左の写真に写る都市型キャンパスのように、道路を挟むという街区が
自然発生させる規制を打破をするためによく用いられる手法だ。一般道路上を建物で塞ぐことはできないため、、躯体
の間で動線を継続させたいのであれば、このような後付け処理を取らざるを得ないが、苦肉の策という域を出ない印象
を得る。道路が、道路やその他の edge 、例えば河川や海峡などを渡すものが橋である。大小や質の問題はあるが、人
が住まない以上建築ではない。他方、一般道路にはみ出た渡り廊下は建築の一部であるにも関わらず、単なる機械と
しての機能以外の性質を殆ど有していない。ただ横切るというアクティビティしかないのであろうか。
他方、異なる側面ものぞかせている。東洋大川越キャンパスには、四つの渡り廊下で接続されている中層の棟がある。
トイレの建築計画で用いられるあふれ率が思い出され、機能として飽和気味ではないだろうかと疑う程の存在感であり
、左右の躯体が脇役になり下がる程の主役として堂々と振舞っていた。既存の枠組みを超えている点で秀逸ではない
だろうか。
もうひとつ例をあげると、これもまたキャンパスであるが、早稲田大久保キャンパスの建築棟には、躯体屋上に橋渡しが
ある。もともとこのキャンパスは、狭い中庭を囲むようにして高層ビルが並ぶので、パノプティコンを彷彿させる殺人的な
空間となっているのだが、上空に見える橋渡しは、刑務所の脱走兵に対して小銃を構えている門兵が監視するための
狙撃台のようであった。(というわけで、合格したが入学はしなかった。)
渡り廊下は新しい単位としてどのような局面をみせるのだろうか。
※ 右の写真は、構造上必要なものではないので、渡り廊下だと思われる。なぜ無窓であるかは分からない。
角度にズレのない直線グリッドは、古典主義的であり、手法としては古いものであるが、ここまで明快に
約1kmに渡って連続するピロティは、向こう岸まで見渡せるがゆえに小気味良い。そこには安心感が備
わるが、それはヒューマンスケールと程遠く、ランドスケープ的な原始時代の記憶を思い出す。我々は大
地を彷徨っていたのである。一方、角度がつき、視線が遮られることによる先の見えない高揚感は、掌に
収まるミニマルなスケールである。衛星写真で世界中くまなく見渡せる時代には、身体レベルでの暗中
模索に意味が与えられるのだろう。
狩人が、獣の足跡から、その獣の来し方行く末を推測するの
と同じように、雪の積雪のしかたから、人々の挙動を読み取
る。狩猟行為という名の街並みスタディ。
おまけ
カザン聖堂。ペテルブルク。半円をプランに敷いた広場がルネッサ
ンス的特徴をみせ、サンピエトロ大聖堂を彷彿とさせる。モスクワと
は打って変わって西欧の匂いが強い街となる。
雪に阻まれて到達できずじまいだった。せめて用途だけでも知れたらと思う。
МГУ (エム・ゲー・ウー)。モスクワ国立大学。あまりに巨大す
ぎるが故に、その全貌をしる生徒はいないそうだ。
へへん!

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